「古事記と言霊」講座 その六- <第百六十五号>平成十四年三月号
 何もない広い宇宙の中に先ず言霊ウの宇宙が現われ、それがアとワの宇宙に剖判しました。言霊アは主体・私であり、言霊ワは客体であり、貴方であります。即ちこの見る方(ア)と見られる方(ワ)の次に何が剖判して来るのでしょうか。それは言霊オ・ヲの宇宙でありました。言霊オは天之常立の神、言霊ヲは宇摩志阿斯訶備比古遅の神であります。

 心の先天構造の此処までの活動で、広い宇宙の中に何かまだ分からないが、何者かが現われ(言霊ウ)、それに人間の思惟が加わりますと、言霊ウの宇宙は見る主体(言霊ア)と、見られる客体(言霊ワ)に剖判し、更にそれが何であるか、を見定めるために言霊オとヲ即ち過去の記憶と記憶するもの(言霊ヲとオ)が剖判・出現し、そのオとヲの記憶によって「何か」が決定されるという段取りとなるのであります。眼前のものが何であるか、が決定しますと、次に何が起るのでしょうか。古事記の文章を次に進めます。

 次に成りませる神の名は、国の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も独神(ひとりがみ)に成りまして、身を隠したまひき。
 国の常立の神は言霊エ、豊雲野の神は言霊ヱであります。国の常立の神とは国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)といった意味です。この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。

 言霊ヱの指月の指に採用された豊雲野(とよくも)の神なる神名は豊(十四〈とよ〉)を雲(組〈く〉む)野(領域・分野)の神(実体)といった意味であります。十四を組む分野の実体と言いましても意味は分かりません。説明を要します。

 今までの心の先天構造を構成する言霊として現出したものは言霊ウアワオヲエヱであります。これ等の言霊の中で主体側に属するものは(ウ)アオエであり、客体側に属するものは(ウ)ワヲヱとなります。言霊ウは一者であり、主体でも客体でもないもの、或いは主体ともなり、客体ともなるものです。この様に分別しますと、まだ出て来てはいませんが、言霊イとヰも同様に区別されます。すると主体側として母音ウアオエイ、客体側として半母音ウワヲヱヰの各五個が挙げられます。主体であるアと客体であるワが感応同交して現象子音を生むということは既に説明しました。更にまだ現れてはいませんが、この次の説明として出て来ます主と客を結ぶ人間の心のリズムである八つの父韻というものがあるのですが、豊雲野の神の「雲」が示す「組む」という働きが実際には主体である母音と客体である半母音を結び組むことを意味しているという事、また母音五、半母音五の中で、半母音五を言霊ワの一音で代表させますと母音と半母音は六、それを結び組む八つの父韻八、六と八で合計十四となります。まだ説明していない言霊の要素を先取りしてお話申上げておりますので、読者にはよくお分りにならないかも知れません。これについては言霊エ・ヱの次に出て来ます言霊父韻と言霊イ・ヰの項で詳しく説明させて頂きますが、「豊」の字の示す十四とは、右に示しました母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。

 国の常立の神・言霊エが人間の物事を創造して行く実践的・主体的行為の働きであるのに対し、豊雲野の神・言霊ヱは実践的智恵によって創造された各種の道徳並びにその規範に当ると言うことが出来ます。

 言霊エ・ヱの道徳実践の性能は他の人間性能に依存せず、独立しており、また先天活動として実際に現象として現れることがありません。「独神に成りまして、身を隠したまひき」となる訳であります。

 言霊オの経験知と言霊エの実践智とは現在同じように思われています。けれど全く次元を異にする違ったものなのです。経験知は既に過ぎ去った現象、または現象と現象同志を想起して来て、そこに起る現象の法則、または現象間の関連法則を調べることによって得られる知識です。実践智とは今起っている現象に対し、如何に対処し、新しい事態に創造して行くか、の智恵のことです。両者には大きな相違があります。

 人は何か対処し、処理すべき事態に遭遇した時、先ずその事態が如何なる原因によって起ったのか、を調べます。この調査は経験知によって行われます。今まで過去に起った同じ現象と比べて、今回の事態が過去と同じか、違いがあるとすれば、それは何か、を調べます。以前起った現象と様相が全く同じであるなら、その以前に経験した対処法をそのまま採用すればよい事となります。この場合、経験知がそのまま実践智となり得ます。問題は起りません。

 けれど今度の事態が過去に似た事例を見ない出来事だったり、似た事例があったとしても、その他未知の要素が含まれているような出来事であったりした場合、経験した知識だけでは判断出来なくなります。この時、実践智という人間の性能が浮かび上がります。言霊エの実践智とは、言霊ウの欲望、言霊オの経験知、言霊アの感情の各人間性能をどの様に按梅して物事に対処したらよいか、を決定する智恵なのであります。この智恵も経験知と同様人間に生れた時から授かっている生来の性能なのです。

 現代の教育はこれ等経験知と実践智の全く違った人間性能を混同しているようであります。その結果、知識教育一辺倒になり、知識を覚え、その知識を利用する性能に劣る人の存在をやゝもすると疎外視する傾向があるのを否めません。人間に生来授かっている性能と言えば言霊ウオアエイの世界から発現する五つの本質的性能があります。単なる数学的計算で見ても、経験知識的(学問)性能は人間全人格の「五分の一」に過ぎません。経験知で他より劣る人は、よく観察するとそれ以外の性能で思いもよらぬ優秀な才能を持つ人が少なくありません。今の学校教育の中で経験知・言霊オと実践智・言霊エとが全く違った次元のものなのだ、という事を知っただけでも、若い人の教育がもっと活気あるものになるのではないでしょうか。

 経験知と実践智、言霊オと言霊エの相違は、その精神構造を図形で示しますと、更に明らかとなります。経験知による勉学の精神構造は三角形△で表わされます。その形而上は△で、形而下は▽で示され、その総合は(図@)の形となります。これを篭目と呼び、イスラエルの国旗に使われます。主として欧米諸国(西洋)の精神構造がこれであります。

 これに対し実践智の精神の構造は方形□で表わされます。形而上は(図A)の形で、形而下は(図Bの形で示され、総合は(図C)の形となります。この精神構造は主として東洋精神の伝統となっています。この形を東洋哲学で框(かまち)と呼んでおります。この三角形と方形の精神構造については後程詳しく説明いたします。
 古事記の文章を先に進め、八つの父韻の話をいたします。

 次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢに)の神。次に妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に角杙(つのぐひ)の神。次に妹活杙(いくぐひ)の神。次に意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に於母陀流(おもだる)の神。次に妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
 右の文章に出て来ます八神の名はすべて言霊父韻を指し示す神名であります。古事記の初めから今までに現われ出ました神、天の御中主の神(言霊ウ)より豊雲野の神(言霊ヱ)までは言霊母音、半母音を示す神名でありました。母音・半母音の宇宙は共に大自然実在であり、それが人間社会の営みの原動力となるものではありません。高御産巣日の神(ア)と神産巣日の神(ワ)が噛み結ぶと言いましても、またアが主体、ワが客体と言いましても、そのアである主体そのものが客体に向かって働きかけを起こすことはありません。実際に主体と客体とを結び、人間社会の中に現象を生じさせるものは大自然宇宙そのものではなく、飽くまで人間でなくてはなりません。そうでなければ、人間自体の創造行為というものはなくなり、創造の自由もない事になり、人間は宇宙の中の単なる自然物となってしまいます。人間という種が万物の霊長といわれ、神の子といわれる所以は、人間が自らの意志によって社会の中の文明創造の営みを行う事によります。

 言霊母音・半母音を結び、感応同交を起こさせる原動力となる人間の根本智性とも言うべき性能、それが此処に説明を始める言霊八父韻であります。この言霊の学の父韻に関して昔、中国の易経で乾兌離震巽坎艮坤〈けんだりしんそんかんごんこん〉(八卦)と謂い、仏教で石橋と呼び、旧約聖書に「神と人との間の契約の虹」とあり、また新約聖書に「天に在ます父なる神の名」と信仰形式で述べておりますが、これ等すべての表現は比喩・表徴・概念であって実際のものではありませんでした。言霊学が完全に復活しました現在、初めて人間の文明創造の根源性能の智性が姿を明らかに現した事になるのであります。

 これより説明いたします言霊八父韻は、言霊母音の主体と、言霊半母音の客体とを結び、現象の一切を創造する原動力となる人間の根本智性であり、人の心の最奥で閃めく智性の火花であり、生命自体のリズムと言ったものであります。その父韻を示す八つの神名の中で、一つ置きに「妹」の字が附せられています。それで分りますように八つの父韻は妹背、陰陽、作用・反作用の二つ一組計四組の智性から成っています。当会発行の言霊学の書「古事記と言霊」で八つの父韻について個々に詳細な説明があります。そこでこの会報では個々の父韻の説明の要点のみをお話申上げることといたします。

 宇比地邇(うひぢに)の神。妹須比智邇(いもすひぢに)の神。
 言霊チ、イ。上の言霊イは母音のイではなく、ヤイユエヨの行のイであります。言霊チを示す神名、宇比地邇の神は「宇は地に比べて邇(ちか)し」と読めます。宇とは宇宙、いえ等の意味があります。人間の心の家は宇宙です。言霊アの自覚によって見る時、人の心の本体は宇宙であると明らかに分ります。するとこの神名は人の心の本体である宇宙は地と比べて近い、と読めます。即ち心の本体である宇宙と地と同じ、の意となります。宇宙は先天の構造、地とは現象として現われた姿と受取ることが出来ます。そこで宇比地邇の神とは心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。

 太刀を上段に振りかぶり、敵に向かって「振り下ろす剣の下は地獄なり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と、まっしぐらに突進する時の気持と言えばお分り頂けるでありましょうか。結果は運を天にまかせ、全身全霊で事に当る瞬間の気持、この心の原動力を言霊チの父韻と言います。それに対し言霊イの父韻は、瞬間的に身を捨て全身全霊で事に当ろうと飛び込んだ後は、その無我の気持の持続となり、その無我の中に自らの日頃培った智恵・力量が自然に発揮されます。須比智邇とは「須(すべからく)智に比べて邇かるべし」と読まれ、一度決意して身を捨てて飛び込んだ後は、その身を捨てた無我の境地が持続し、その人の人格とは日頃の練習の智恵そのものとなって働く、と言った意味を持つでありましょう。

 以上の事から言霊父韻チとは「人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻」であり、父韻イとは「父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行く力動韻」という事が出来ましょう。ここに力動韻と書きましたのは、心の奥の奥、先天構造の中で、現象を生む人間生命の根本智性の火花がピカっと光る閃光の如き動きの意であります。

 角杙(つのぐひ)の神。妹活杙(いくぐひ)の神。
 言霊キ、ミ。昔、神話や宗教書では人間が生来授かっている天与の判断力の事を剣、杖とか、または柱、杙などの器物で表徴しました。角杙・活杙の杙も同様です。言霊キの韻は掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を自分の手許に引寄せる力動韻のことです。これと作用・反作用の関係にある父韻ミは自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます。

 人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻が父韻ミです。またその見たものが他人の行為であり、その行為を批判しようとする場合、自分が先に経験し、しかもそういう行為は為すべきではないと思った事が瞬間的に自分の心を占領して、相手を非難してしまう事が往々にして起ります。心に留めてあったものが自分の冷静な判断を飛び越して非難の言葉を口走ってしまう事もあります。これは無意識にその経験知を掻き繰って心の中心に入り込まれた例であります。

 人は世の中で生きて行く時、この父韻キミの働きを最もしばしば経験します。そしてこの働きは最も容易に認識する事が出来るのではないでしょうか。

 意富斗能地(おほとのぢ)の神。妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。
 言霊シ、リ。父韻を示す神名の中でこの父韻シ・リの神名からその父韻の内容を理解することはほとんど不可能に近いと思われます。意富斗能地は大きな斗(はかり)の働きの地と読めます。物事を判断し、識別する大いなる能力の地という訳です。人はある出来事に出合い、その事を判断・識別する事が出来ず迷う事があります。あゝでもない、こうでもないと迷いながら、次第に考えが心の中でまとめられて行きます。そして最後に迷いながら経験した理が中心に整理された形で静止し、蓄積されます。蓄積される所が心の大地という訳です。この働きから学問の帰納法が生れて来るでありましょう。

 大斗乃弁とは大いなる計りの弁(わき)まえと読めます。意富斗能地と作用・反作用の関係にある事から、心の中にある理論から外に向かって発展的に飛躍していく働きと考えられます。父韻リはラリルレロの音がすべて渦巻状、螺旋状に発展していく姿を表わしますから、父韻リとは心の中の理論が新しい分野に向かって螺旋状に発展し、広がって行く働きであることが分ります。この様な動きの理論の働きは演繹法と呼ばれます。学問ではなくとも、多くの物事の観察から人の心の中に一つの結論がまとまっていく過程、また反対にひとつの物事の理解から思いが多くの事柄に向かって連想的に発展して行く事、その様な場合にこの父韻シ、リの存在が確かめられます。

 於母陀流(おもたるの神。妹阿夜訶志古泥あやかしこねの神。
 言霊ヒ、ニ。於母陀流の流の字に琉(る)を当てた本がありますが、言霊的意味に変わりはありません。於母陀流の神を日本書紀には面足尊(おもたるのみこと)と書いており、その意味・内容は更に明らかとなります。ハヒフヘホの音は主として人の言葉に関する音であります。面足とは心の表面に物事の内容表現が明らかに表わされる力動韻という事が出来ます。私も時に経験することですが、何かの集会で突然一人の人から「久しぶりにお会いしました。御無沙汰していて申訳御座いません。あの節はお世話になりました」などと親しげに挨拶されます。余りに親しげであり、突然の事とて、戸惑い、いい加減な挨拶を返してそのまま別れてしまう事があります。別れた後で「確かに何処かでお会いした事があるように思えるが、さて何方(どなた)だったかな」と仲々名前を思い出せません。二、三日経って、散歩な心に懸っている間に、次第に心の奥で思い出そうとする努力が煮つまって行き、以前に会った時が何処か、何時か、どんな時か等の事が焦点を結び始め、終に心の一点に過去の経験がはっきり一つの姿に沈黙の内に煮つめられた時、その瞬間、意識上に「あゝ、あの時の木下さん……」と言葉の表現となって花咲いた訳であります。かくの如く心の表面にはっきり表現として現われる時には、心の奥で過去のイメージが実を結んでいる、という事になります。この心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行く力動韻、これが父韻ニであります。

 以上、妹背四組、八つの父韻チイ、キミ、シリ、ヒニについて簡単に説明をいたしました。お分かり頂けたでありましょうか。古事記の神名はすべて言霊の学問に関して禅で謂う所の指月の指だと申しました。「あれがお月様だよ」と指差す指という事です。ですから指差している指をいくら凝視しても、それだけでは何も出て来ません。指が指差すその先を見ることが肝腎です。今までお話して来ました父韻についての説明も矢張り「指月の指」であることに違いはありません。読者におかれましても、この説明にあります力動韻を自分御自身の心の奥に直観されますようお願い申上げます。

 父韻のお話に添えてもう一つ御注意を申上げておきます。「父韻の説明を読んで自分の心を探ってみるのだが、八つの父韻がどんなものなのか、実際に心の中に起る何が父韻なのか、どうも分かりません」と言われる方が時々いらっしゃいます。どうしたら父韻の働きが分かるのか、一つのヒントを申し上げようと思います。チイキミシリヒニの八つの父韻がアオウエの四母音に働きかけて、言い換えますと、八つの父韻が母音と半母音四対を結ぶ天の浮橋となって三十二の子音言霊を生みます。この子音言霊のことを実相の単位を表わす音と言います。父韻は母音(半母音)に働きかけて物事の実相の単位である子音言霊を生みます。その子音が生れる瞬間に於いて、その子音誕生の原動力となる父韻の動きを誕生の奥に直観することが出来ます。でありますから物事の実相を見ることが出来るよう自分自身の心の判断力を整理しておく事が必要なのです。心の整理とは心の中に集められた経験知識を整理して、少しでも生れたばかりの幼児の如き心に立ち返って物事の空相と実相を知る事が出来る立場に立つ事であります。その時、実相を見る瞬間に、その実相誕生の縁の下の力持ちの役目を果たす八つの父韻の力動韻を直観することはそんなに難しい事ではありません。

 ここまでの説明で心の先天構造を構成する十七言霊の中の十五の言霊が登場しました。言霊母音と半母音ウアワオヲエヱ七音、言霊父韻チイキミシリヒニ八音、合計十五音となります。そこで最後に残りました言霊イ・ヰ即ち伊耶那岐・伊耶那美二神の登場となります。その説明に入ることとしましょう。

 伊耶那岐(いざなぎ)の神。伊耶那美(み)の神
 言霊イ、ヰ。先天構造を構成する十七の言霊の中の十五言霊が現われ、最後に伊耶那岐(言霊イ)と伊耶那美(言霊ヰ)の二神・二言霊が「いざ」と立上り、子音創生という創造活動が始まります。言霊イ・ヰが活動して初めて先天十七言霊の活動が開始されます。この様に言霊イ(ヰ)は一切の創造活動の元となる言霊であります。

 「大風が吹くと桶屋が儲かる」という話があります。一つの原因があると結果が現われる。その結果が原因となって次の結果が出て来る。……かくして因果は廻って果てしなく話は続くという事になります。言霊ウの宇宙から社会の産業経済活動が現われます。言霊オの宇宙から学問という分野の活動が起ります。……では何故ウ言霊から産業経済活動が起るのか。……それは人間の根本智性である八つの父韻が母音言霊ウに働きかける事によって現象を生むからです。……では何故八つの父韻は言霊母音に働きかける事が出来るのか。話は何処まで行っても尽きないように見えます。この次々に考えられる原因・結果の話に「止(とどめ)」を刺すのが伊耶那岐・伊耶那美二神の言霊イ・ヰであります。言霊イ・ヰは大自然宇宙を含めた人間生命の創造意志と呼ばれる一切の原動力であり、伊耶那岐・美の二神は宗教で創造主神または造物主と呼ばれているものに当ります。

 現代では使われなくなりましたが、昔「去来」と書いて「こころ」と読み、また「いざ」とも読みました。伊耶那岐は心の名の気の意であり、伊耶那美は心の名の身という意味となります。心の名とは言霊の事です。そこで生命創造意志である言霊イ、ヰの意義・内容を次の三ヶ条にまとめて書いてみましょう。詳しい説明は次号に譲ります。(図参照)

 一、四言霊アエオウの縁の下の力持ちとなって、これ等言霊を支え統轄します。
 二、人間の根本智性であるチイキミシリヒニの八父韻に展開して、四母音に働きかけ、人間の精神現象の一切を創造します。
 三、生み出された現象に言霊原理に則った相応しい名前を付ける根本原理となります。
 言霊イ・ヰは母音・半母音であり、同時に父韻となるものでありますので、特に親音と呼びます。

(以下次号)