「古事記と言霊」講座 その十一 <第百七十号>平成十四年八月号

 先天構造の十七言霊(天名)(あな)の説明が終り、その活動によって生れて来る三十二の後天現象の要素子音のそれぞれが精神宇宙内での位置を示す島(国)の説明も終了しましたので、今号より生れて来る子音言霊の一つ一つについてお話を進めて行きます。三十二の子音を、その位置を示す島の順序に従って登場させます。初めに津島に属すタトヨツテヤユエケメの十言霊(十神)から始めます。

 大事忍男(おおごとおしを)の神
 言霊
 神名は大いなる(大)現象(事)となって押し出て来る(忍)(おし)言霊(男)を指示する神名(神)と説明されます。先天構造から説明しますと、父韻チが母音アに働きかけて子音タが生れます。父韻チとは父韻の章で述べましたように「精神宇宙全体がそのまま後天の現象となって現われ出る力動韻」と説明されます。その父韻チが母音アに働きかけて子音タが生れます。物事(現象)は五母音の中でアの次元に視点を置いて見るのが最もその実相を明らかにします。以上の事から父韻チと母音アと結んで現われた子音タは宇宙がそのまま現象として現われたというのに最もふさわしい姿という事が出来ます。

 精神宇宙は五十個の言霊で構成されており、それ以外のものはありません。「宇宙がそのまま現象となって現われた姿」である子音タとは言霊五十個(父韻・母音・子音のすべて)が人間の人格全体として整った姿でもあります。言霊五十個が整った姿と申しますと、私達が小学校の時から教えられるアイウエオ五十音図の如く縦に五母音、横に八父韻、次に縦に五半母音と続く五十音図が思い浮ぶでありましょう。それはまた形が整然と苗を植えられた田んぼに似ております。稲の植え代を田と呼ぶ語源であります。それはまた言霊学で謂う人間の人格の全体をも意味することとなります。

 言霊子音タは言葉として田(た)・竹(たけ)・滝(たる)・足(たる)・貯(たくわえる)・助(たすける)・叩(おし)・佇(たたずむ)・戦(たたかう)等に使われます。

 父韻と母音が結ばれて子音が生れます。ですから右に述べましたように子音の内容を説明するのに父韻と母音とからの説明は手段としては便利であります。では子音言霊の内容は父韻と母音からの説明ですべてかというと、決してそうではありません。人間の子供はその父親と母親の性質や特徴を合わせ持ってはいます。けれど子供の内容が父母の性質と内容ですべてか、というとそうではありません。子供はその父母の性質を受け継ぎながら、更にプラス・アルファーを持った、父母から独立した一個の人格です。言霊子音の内容もその先天である父韻と母音の内容を持ちながら、父韻と母音とから独立した実相内容を持っています。

 右の消息を人間の実社会の現象を例に説明してみましょう。AとBの両人が或るビジネスの仕事でCという契約を結んだとしましょう。するとCという契約内容は確かに契約を結んだAとB両人のビジネス上の希望と計画の内容を含んでおります。と同時にその契約が結ばれた時以後は、Cという契約書はAとBの思惑から離れ、独立した社会的存在として歩き出し、時にはAとB両人の事業に一つの制約を与える存在ともなり得ることとなります。AとBから生れたCなる子がただAとB双方の内容だけからでは説明することが出来ぬものをも内容として持っている事を示すよい例ではないでしょうか。同様に言霊子音の内容の説明に当り先天構造の中の父韻と母音の言霊の内容からの説明が完璧なものではない事を頭に入れて置いて頂きたいと思います。

【註】後天現象の要素である三十二個の言霊子音についての記述とその内容の説明は、人類文明史上、ここ三千年程の間、唯の一つもなかった、と言っても過言ではない。人間精神内の現象の最小要素である言霊子音は正しく宗教、芸術、哲学等の奥義中の奥義であり、世界人類の精神的秘宝であり、そしてまた日本の伝統である言霊布斗麻邇の学問の独擅場(どくせんじょう)に属すものである。それ故、言霊子音の一つ一つの内容を自覚する為には、今お話する父韻と母音の結合よりする理論的想像を基礎として、子音言霊を指示する神名と、その子音が属す島の名並びに子音創生に於ける言霊の宇宙循環等よりする精神の内観に頼る方法を挙げる事が出来る。そして自らの心の内に焼き付く如くに子音内容を自覚し得る決定的な機会は、言霊学の結論というべき禊祓の行法の途上に見える上筒の男、中筒の男、下筒の男の三神によって示される人類文明創造行為の実践の中に訪れる事となる。その瞬間、言霊子音の一つ一つが禊祓実行者の心中に明らかに内観される。

 石土毘古(いはつちひこ)の神、石巣比売(いはすひめ)の神
 言霊
 石土毘古の神の石は五十葉(いは)で五十音言霊、土は培うで育てる意、即ち八つの父韻の働きを示します。毘古は主体を表わします。石巣比売の神の石(いは)は五十音言霊、巣はその住家の意で、現象子音がそこから生まれて来る元の宇宙、即ち母音の事、比売は姫で客体を指しています。これだけでは何の事だか明らかではありませんが、言霊がタトヨ……と続く過程は島名で津島と教えられています。先天構造が活動を起し、現象が生れて来ますが、津島と呼ばれる過程で先天の活動が実際に何を意図しているかを一つのイメージにまとめる働きをします。言霊タトヨと続く働きを右の津島という島の意味と重ねてみますと次のような事が考えられて来ます。

 先天構造の十七言霊が活動を起し、その先天宇宙が言霊子音ターと後天現象として姿を現わしました。けれどそれは先天活動そのものであり、意識の及ばぬ領域のことですから、ターと現われても何の事だか分りません。父韻はどんな並びになっているか、母音はウオアエ四次元の中の何の次元の活動か、を先ず調べる必要があります。そのため過去の経験の記憶を呼び覚(さ)ますこととなります。次元オの宇宙の中から五十音図の横の列の十音の並び即ち言霊トが、また縦の列のイ段を除いた四つの母音の並び即ち言霊ヨが思い起され、参照比較されます。それによって先天活動の実際の意図は八父韻の如何なる並びか、母音に於いてはどの次元の意図か、が測られます。

 言霊トは十(と)・戸(と)・解(とく)・時(とき)・富(とみ)・年(とし)・説(とく)等に使われ、言霊ヨは四・世(よ)・欲(よく)・夜(よる)・嫁(よめ)・横(よこ)・酔(よう)等に用いられます。

 大戸日別(おおとひわけ)の神
 言霊
 大戸日別とは大いなる戸(と)即ち言霊図の母音・八父韻・半母音計十言霊の横の列の(と)戸を通して先天の意図(日)である父韻の並び方が調べられ、その意図が現実に何を志しているか、が明らかとなり、「ツー」と姿を現わして来る姿であります。

 言霊ツは津(つ)・月(つき)・附(つき)・突(つく)・次(つぐ)・啄(ついばむ)・杖(つえ)・使(つかう)・仕(つかえる)・土(つち)等に用いられます。

 天の吹男(ふきを)の神
 言霊
 大戸日別の神として五十音図の横の並びが確かめられ「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれかに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく様であります。天の吹男の神の神名は、先天の意図が大戸日別で判別された父韻の並びが息を吹きかける如く特定された母音に吹き付けられる様とも表現されます。

 言霊テは手(て)・寺(てら)・照(てる)等に用いられます。

 大屋毘古(おほやひこ)の神
 言霊 先天の意図が父韻の並びと、それが結び付こうとする母音次元が明らかとなり、結ばれると、一つのイメージとなって姿を表わします。するとそのイメージはあたかも一つの大きな建造物(屋)となって働き(毘古)始めることとなります。

 言霊ヤは屋(や)・矢(や)・八(や)・焼(やく)・族(やから)・安(やす)・奴(やっこ)・山(やま)・病(やまい)・藪(やぶ)・闇(やみ)等に使われます。

 風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神
 言霊
 先天の活動が意図するものは何か、が一つのイメージにまとまって来たが、そのイメージは伊耶那岐・伊耶那美の霊と体、主体と客体との関係を保っており(風は霊、木は体)それが言霊(男)として押し(忍)(おし)出される姿(神)であるという事です。

 言霊ユは湯(ゆ)・弓(ゆみ)・結(ゆう)・言(ゆう)・夕(ゆう)・縁(ゆかり)・歪(ゆがみ)・裄(ゆき)・行(ゆく)・雪(ゆき)・揺(ゆする)等に用いられます。

 (わた)の神名は大海津見(おほわたつみ)の神
 言霊
 神名の大海津見の神とは大いなる海に渡して(津)明らかに現われる(見)の意です。先天の活動の内容は何であるか、のイメージ化が頭脳の細い道(これが川に譬えられます)を通って次第に明らかになり、その姿が現象子音となり、また言葉となって広い海(口腔に見立てられる)に入って行きます。川から海への境目が江(え)と呼ばれます。

【註】大綿津見の神の言霊エは五十音図ヤイユエヨのエです。現代の国語はア行、ヤ行、ワ行のエ(ヱ)をすべてエ一字に表わしています。

 水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神
 言霊
 水戸とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。

 言霊ケは木(け)・毛(け)・気(け)・日(け)・蹴(ける)・穢(けがれ)・消(けす)等に使われ、言霊メは女(め)・目(め)・芽(め)・姪(めい)・飯(めし)・恵(めぐむ)・廻(めぐる)・召(めす)・雌(めす)・捲(めくる)等に使われます。

 以上、大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神、タトヨツテヤユエケメの十言霊の説明を終えます。これ等十神、十言霊が精神宇宙に占める位置を津島と呼びます。津とは渡すの意。意識では捉えることが出来ない心の先天構造の働きが実際にどんな内容、どんな意図があるかを一つのイメージにまとめる過程の働き、現象であります。この十個の言霊の働きによって、先天の活動を言葉として表現する次の段階に渡す、即ち津島であります。またの名を天の狭手依比売(さでよりひめ)といいます。先天の活動が狭い処を通り、手さぐりするように一つのイメージにまとまって行きますが、まだ言葉にはなっていない、すなわち秘められている(比売)の段階という意味であります。子音創生の話しはこれより佐渡の島と呼ばれる段階に入ります。

【註】「古事記と言霊」の中でこの津島の十言霊の後半にありますユエケメの中の言霊ユとメを取り上げて、これが日本語の「夢」の語源となる理由を示唆している、と書きました。意識外の先天構造の動きが津島と呼ばれる十言霊の働きによって次第に一つの建造物の如くイメージにまとまって行き(言霊ヤ)、それが湯が湧き出すように(言霊ユ)現われ、そのイメージが言語と結び付く直前の処まで、即ち発声器官に渡される境目(言霊エ、ケ、メ)にまで来た状態、しかし確実な言葉と結ばれてはいない(秘められている)様子、夢とは其処に深く関係する、と言う訳であります。読者の皆様もこの夢多き人間の心の活動と言葉との関係探索の旅を自らの心の中に楽しまれたら如何でありましょうか。

 古事記の文章が子音創生の佐渡の島の領域に進みます。
 
この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、沫那芸(あわなぎ)の神。次に沫那美の神。次に頬那芸(つらなぎ)の神。次に頬那美の神。次に天の水分(みくまり)の神。次に国の水分の神。次に天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に国の久比奢母智の神

 先天構造内の意識では触れることが出来ない活動の内容が、津島と呼ばれる宇宙内の位置に属する十言霊の働きによって、頭脳内の狭い通路を通り最後の速秋津日子・比売、言霊ケメに到って一つのイメージにはっきりとまとめられました。此処までが「河」に当ります。そして次の佐渡の島と呼ばれる位置に属す八言霊クムスルソセホヘの働きでイメージに言葉が結ばれ、口腔より発声されます。その口腔を広い海に譬えたのです。「速秋津日子、妹速秋津比売の二神、河海によりて持ち別けて生みたまふ……」とは以上の説明の如く、速秋津日子・妹速秋津比売までが河、次に生れる沫那芸・沫那美からは海と、河と海を持ち別けたという事であります。

 沫那芸(あわなぎ)の神、沫那美(み)の神
 言霊
 先天構造内で伊耶那岐・伊耶那美の二神言霊イ・ヰが婚(よばい)し、結びついて現象子音が生れて来ると説明されました。しかしそれは人の意識では触れることが出来ぬ先天構造内の出来事でありました。その先天構造内の活動を、今度は意識で触れることが出来る後天現象として伊耶那岐・美二神の婚(よば)いの活動を再構築する働き、これが沫那芸・美の二神、言霊ク・ムの働きであります。沫那芸・美の沫は言霊ア・ワを意味し、また敷衍(ふえん)しますと言霊アオウエイとワヲウヱヰでもあります。この二言霊の活動でイメージが言葉と結びつけられます。心と身が、霊と音が、私と貴方が結ばれます。

 言霊クは来(く)・杭(くい)・食(くう)・悔(くい)・加(くわる)・暗(くらい)・繰(くる)・括(くくる)・草(くさ)・潜(くぐる)・挫(くじく)等に、言霊ムは六(む)・向(むかう)・迎(むかう)・昔(むかし)・麦(むぎ)・剥(むく)・婿(むこ)・虫(むし)・蒸(むす)・結(むすび)等に使われます。

 頬那芸(つらなぎ)の神、頬那美(み)の神
 言霊
 前の沫那岐・美、言霊ク・ムで先天活動の内容が言葉と結ばれたものが、この頬那芸・美の二神、言霊ス・ルで言葉として発声されます。発声には口腔の筋肉などが作用しますので、神名として頬(つら)(ほほ)の字が入っている訳です。頬那芸・頬那美と芸と美即ち気と身で霊と体、私と貴方を互いに受け持っています。

 言霊スは主(す)・巣(す)・澄(すむ)・住(すむ)・据(すえる)・救(すくう)・州(す)・鬆(す)・吸(すう)・掬(すくう)等に使われ、言霊ルは流(る)・縷(る)・坩堝(るつぼ)等に用いられます。頬那芸、頬那美の働きが程よく調和しますと、言葉はスルスルと淀みなく相手に伝わります。言霊スは静止の姿、言霊ルは動く姿、双方がうまく調和する事によって話はスムーズに運びます。良い弁舌を「立て板に水」と表現しますが、それも留処(とめど)なく流れては相手の理解をそこないます。適当な「間」がなければなりません。流れの中に間があって初めて滑らかな弁舌と言えましょう。

【註】「古事記と言霊」の書では、この言霊スの登場の所で、古事記の冒頭の言霊ウ――ア・ワの宇宙剖判が実はス――ウ――ア・ワである事の説明を附記しています。これに間違いはないのですが、今回の講座ではこの説明を言霊学の最終結論である「三貴子」の登場の後に廻す事とします。

 天の水分(みくまり)の神、国の水分の神
 言霊
 水分(みくまり)は水配(みずくば)りの事であります。心を言葉に組んで発声するには、無言から有言ヘ、意志の一段の推進力が加わる必要があります。私達は言葉を発して相手に伝えようとして一瞬ためらう時があります。その最中(さなか)にこの言霊の働きの姿を垣間見ることが出来ます。天の水分は意志の一層の意欲、国の水分は体的エネルギーの補給、実際には弁舌の舌を潤(うるお)す唾液の事でありましょうか。

 言霊ソは注(そそぐ)・削(そぐ)・添(そえる)・聳(そびえる)・染(そめる)・逸(それる)・剃(そる)等に、言霊セは瀬(せ)・急(せく)・堰(せき)・責(せむ)・背(せ)等に用いられます。

 天の久比奢母智(くひざもち)の神、国の久比奢母智の神
 言霊
 久比奢母智とは久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意。天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。先天意志の内容であるイメージが音声と結ばれ、発声されますと、その言葉の内容は何処までも豊かに持続され、発展して行きます。言葉というものは発声されたらそれで終りという訳ではありません。

 言霊ホは穂(ほ)・火(ほ)・秀(ほ)・百(ほ)・帆(ほ)・吠(ほえる)・外(ほか)・惚(ほける)・炎(ほのお)・仄(ほのか)等に、言霊ヘは戸(へ)・辺(へ)・舳(へ)・凹(へこむ)・減(へる)・蛇(へび)・経(へる)・縁(へり)等に用いられます。

 以上沫那芸の神より国の久比奢母の神までの八神、クムスルソセホヘの八言霊が属す宇宙区分を佐渡の島と呼びます。この区分の八言霊の現象によって先天の意図のイメージが音声と結ばれ言葉となり、口腔より空中へ飛び出して行きます。佐渡の島とは心を佐けて言葉として渡すという意です。この八言霊の作用により未鳴が真名となり、更に発声されて神名となって空中に飛び出します。

 古神道言霊学の佐渡の島の「心を言に乗せて渡す」という事が佛教でも使われ、八苦の娑婆の此岸から極楽の彼岸に渡すことを度(ど)と言い、また得度(とくど)なる言葉もあります。佛の教えでは、人は生れながら佛の子であり、救われた存在なのであるが、救われているという自覚を持ちません。それが佛の教えを実行して救われてある事を自覚出来ます。けれどその自覚だけでは不充分であり、その救われの心を言葉に表わし、または詩にまとめて初めて自覚は完成する、と説きます。言葉によって渡す事となります。その詩を頌(しょう)または偈(げ)と呼びます。

 古事記の文章が子音創生の第三番目の島である大倭豊秋津島と呼ばれる宇宙区分に移ります。
 
次に風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。

 大倭豊秋津島の区分に属す神(言霊)はこの四神に続いて天の狭土の神以下大宜都比売(おほげつひめ)の神まで十神がありますが、説明の都合上取り合えず志那都比古の神以下の四神、言霊フモハヌの四言霊を先に登場させます。何故かと申しますと、心の先天構造が活動を起し、それによって子音創生が始まり、タトヨツテヤユエケメの十言霊が属す津島の区分で先天の意図がイメージとしてまとめられ(未鳴)、次にクムスルソセホヘの八言霊の属す佐渡の島の区分でイメージに音声が結ばれ、発声されます(真名)。発声された言葉は次に大倭豊秋津島の区分に入り、空中を飛び(神名)(かな)、聞く人の耳に入り、復誦、検討され、その内容が了解され、そこで先天の意図が達成され、一連の言霊の宇宙循環は終り(真名)、再び先天に帰ります。この大倭豊秋津島の区分の言霊はフモハヌ・ラサロレノネカマナコの十四言霊であります。その中で先ず取上げました志那都比古の神以下の四神、フモハヌの四言霊は大倭豊秋津島の区分の十四言霊の中の空中を飛んでいる言葉(神名)の内容を示す言霊なのであります。

 風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神
 言霊
 志那都比古とは先天活動の意図(志)がすべて(那)言葉となって活動している実体(神)と言った意味です。心は言葉に乗って何処までも活動します。言霊フモハヌは空中(外界)を飛ぶ言葉の内容でありますので、風・木・山・野の神と自然物の名が附けられています。風の神の風は人の息(いき)のことでありましょう。フとはその心、その言葉の内容を意味します。

 言霊フは二(ふ)・譜(ふ)・笛(ふえ)・踏(ふみ)・吹(ふき)・伏(ふす)・深(ふかい)・殖(ふえる)・蒸(ふかえ)等に使われます。

 木の神名は久久能智(くくのち)の神
 言霊
 久久能智とは久しく久しく能(よ)く智を持ち続けるの意。人が発声した言葉はそれ以後人との関係がなくなる、という訳ではありません。心はその言葉に乗って何処までも影響力を持ち続けます。木の神の木は気(き)、霊(ひ)の意。空中を飛んでいる言葉は気、霊を宿(やど)している事を示しています。

 言霊モは裳(も)・萌(もえ)・燃(もえ)・設(もうける)・申(もうす)・詣(もうで)・藻(も)・もがく・持(もつ)・餅(もち)・盛(もり)等に使われます。

 山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神
 言霊
 山の神、また大山津見の山とは八間(やま)の意です。言霊八父韻チイキミシリヒニが発現する姿を図示しますと■となります。この図の八つの間に一つずつ父韻が入ります。またその図の平面の中央を面より直角に引き上げますと山の形となります。先天の意図が津島でイメージ化され、佐渡の島で音声と結ばれ、そして渡(わた)され現われ(津見)たものが言霊ハの言葉だという訳です。父韻ヒは「物事の表現が心の宇宙の表面に完成する韻」と説明されます。その実現の姿が言葉です。

 言霊ハは葉(は)・肌(はだ)・歯(は)・裸(はだか)・端(はし)・橋(はし)・箸(はし)・這(はう)等に使われます。

【註】山には高い処の屋根と低い処の谷があります。山に譬えられる言葉にも尾根と谷があります。尾根は父韻、谷は母音です。中国の老子に「谷神(こくしん)は死なず」とあります。母音の事であり、母音は宇宙の音、永遠に変わることなき音です。

 野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神、またの名は野槌(のづち)の神
 言霊
 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です。これを神名(かな)と呼びます。佐渡の島の真名が口で発声されて神名となり、空中を飛んで大山津見の言葉となり、山が裾野(すその)に下って来て鹿屋野の野に着いた、という太安麻呂独特の洒落であります。野に到って、そこで人の耳に聞かれることとなります。耳の鼓膜を叩くので野槌(のづち)の神と付け加えたのでしょう。 

 言霊ヌは貫(ぬ)・野(ぬ)・縫(ぬう)・抜(ぬく)・額(ぬか)・糠(ぬか)等に使われます。

(以下次号)

 アイエオウ(言霊学随想)

 夜更けて心静かに自らの言霊オウの心を見つめる。そこは欲望と経験知識が交錯し合い、煩悩交々(こもごも)起り、地獄相の中に心がのたうち廻っているのを見る。自らの力でこの地獄から抜け出る事など到底出来るものではないと知る。「煩悩具足の凡夫、地獄は一定住家ぞかし」(歎異鈔)。地獄から抜け出し得ないと思い知って、抜け出そうとする努力の精も根も燃え尽きてしまった。この時、小さい惨めな自分を粛然と照らしている光を仰ぐ事が出来る人は幸福である。「幸福なるかな、心貧しき者。天国はその人のものなり」(マタイ伝)。その光は言霊学によって地獄の底まで照らす言霊アの愛といつくしみの光であると教えられる。更に言霊学は言霊アの心の内容として言霊イの生命(イの道)の原理とその法則を、またその法則に基づく言霊エの、この世の全存在を何一つ損(そこな)う事なく摂取して人類文明創造に役立たせる実践の力をも教えてくれる。人の心の中にアイエオウの天之御柱が厳かに立っている事を知る事が出来る。「煩悩の大海に入るに非ざれば、一切智の宝を得ることなし」(維摩経)。この天之御柱から見る時、自らが長い間もがき苦しんで来た言霊ウオの矛盾相が、姿そのままに生命の調和に包まれて合理的な営みなのであったと知る。この柱は皇祖皇宗の世界人類文明創造の原器である。第三生命文明の世はこの原理に基づいて創造される。それは平凡なる人間が平凡なるが故に許され、委属された人類救済の大業である。「日月の照らすを要せず、羔羊(こひつじ)灯火なればなり」(黙示録)。羔羊の灯火とは五十音言霊布斗麻邇である。……夜明けは近い。

(以上)