「コトタマ学とは」 <第百九十八号>平成十六年十二月号
     梅の花

 もう十年以上も前のことです。関西旅行をした時、京都駅前から「わびコース」という観光バスに乗ったことがありました。京都の有名なお寺の庭園と茶室を見せてくれるコースだと聞きました。

 最初に一名竹寺と呼ばれる光悦寺の庭園を見学し、次に大徳寺に行きました。すぐに見学できるのかと思いきや、乗客全員、庭園に面した広い廊下に座らされて、若いお坊さんが説法を始めたのには驚きました。話はなかなか終りません。退屈極まった筆者は席をそっと抜け出しました。人気のない広い長い廊下を歩きながら、優雅な大徳寺の部屋部屋をのぞいて廻ったのでした。

 ある部屋の前に来た時、襖が開けたままになっていて、部屋の床の間に掛軸がかかっています。五字の詩(仏教で偈といいます)が一行、幼稚とも思える素朴な筆で、しかも達筆に、

   「梅花破雪香」(梅花雪を破って香し)

と書かれています。「長い冬の白一色の雪の景色を突き破るように、春の初めの息吹の梅の花が咲いて香りを放っている」という意味の詩です。上手な詩です。さらに驚いたことには、それが禅宗のお坊さんの作だと思われるからでした。仏教の偈というのは、お坊さんが修行の途上で悟ることの出来た心の仕組みを自然の風物に託して表現した詩であるからです。

 一面の雪は、現象としては何も起っていない心の宇宙、お坊さんのいう「空」をたとえています。その心の宇宙から意識の息吹・萌芽が生まれ出て来ます。梅の花は万物がまだ冬の眠りにある間に、いち早く春を告げて独り咲き出します。心の宇宙の中に初めて生まれる兆しに日本人の祖先はウの一音(言霊ウ)を当てました。梅の花は正しく「ウの芽」に当ります。日本語の梅の語源なのです。

 昔、大徳寺にえらいお坊さんがいて、修行の末に空を悟り、その空々漠々たる心の宇宙から意識の芽が生まれ出て来る瞬間の消息を心の内に観じて偈に表現したのでしょう。この偈の掛軸を前にして、日本語の梅の語源が、心の先天構造の天津磐境の最初の原理である言霊ウの「芽」であることを今更のように驚きをもって心に留めたのでした。

    松風

 梅の偈の掛軸のある部屋の隣の部屋の前に来ました。やはり襖が開けてあります。見ると同じような床の間に、同じような表装の掛軸が掛かっています。

  「余坐聴松風」(余坐に松風を聴く)

 と同じ筆で書かれています。ますます驚きました。心の先天構造の第二則が見事に詩として表現されているのです。

 余坐とは次の座ということです。何の次の座かというと、心の宇宙の中に何かが生まれ出てきたと感じる兆し(言霊ウ)の次の座のはずです。それは「何かな」という疑問が起ると同時に、図示したように一つの宇宙が主体と客体、アとワに分かれます。松の葉は生え際から二本に分かれています。∧の形です。この主体と客体に分かれることを「松風を聴く」と大層風流に詩的に表現したのです。
 二つの詩を続けて書いてみましょう。

  梅花雪を破って香し、余坐に松風を聴く

 心の構造を見事に表現した偈ではありませんか。心楽しくなった私は、手帳に二つの偈を書き取ってからもと来た廊下を引き返しました。観光客相手の若いお坊さんの説法は、丁度終ろうとしているところでした。

(次号に続く)


   過ぎし日々のことなど(言霊学随想)その二

 最近、平成十五年から今年にかけて、それまで熱心に言霊学講習会に来られていた方で、ある月からパタっと来られなくなった方が数人いらっしゃいます。言霊の学問が全くお分かりにならない方なら兎も角、理論的には相当御理解なさっておられる方が勉学を諦めてしまうのですから、お気の毒というか、残念というか、言いようのないことです。諦める理由は何処にあるのか、種々考えてみますと、どの方も同様に言霊学の理論の理解からご自分の心による実際の自覚へ進む段階で起る現象の作用であることによっているように思われます。今月号は表題の如く昔話を申上げることになりますが、それに入る前に、この勉学の障害について一寸お話申上げることといたします。

 毎度申上げることですが、人間の心の内容の自覚は言霊ウオアエイの順に進化をします。ウ(五官感覚に基づく欲望)、オ(経験知識の獲得とそれによる判断)、ア(感情、純粋愛の世界)、エ(実践智)、イ(言霊、言葉)の順であります。この心の自覚の進化の段階でその進化の障害に出合うのは、言霊オからアの段階へ移る時であります。このオからアへの進化の勉学の方法が現代人にとって大層不得手な、またユニークなやり方でありますので、”障害“となって立ちはだかることになります。その消息を説明してみましょう。

 現代人にとって進化という言葉を聞くと、どんな印象を持つでしょうか。進化、即ち進んで変わる(化)という意味から勉強を積み重ねて行って、その内容がある段階に来ると、その時までとは全く違った内容に変わって行く、という所謂生物学的進化を思い浮かべるのではないでしょうか。例えば、蝶が初めの卵から幼虫となり、蛹となり、終に成虫となって空中に羽化して飛び出す姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

 ところが、人間の心の自覚進化は右の如き蝶の進化(変態)とは全く違ったものなのです。その違うことの理由は先ず次のことが挙げられます。蝶は変態して卵、幼虫、蛹、蝶と四段階が全く異った形に変態して進化します。人間の精神進化はそういう変態をしません。人間は生まれた時からウオアエイの五段階の精神性能を与えられているのです。そしてその五つの性能は、それを自覚すると否とに関係なく常に働いています。ですから言霊学を学ぶことによってそれ等の性能を一つ一つ身に付け、開発して行くわけではありません。生ある限り人はそれらの性能を働かせて生活を営んでいることに何人たりとも違いはないのです。違うのは、自分の心を省みることによって、それらの性能を一つ一つ内容を自覚して行くことなのです。そして自覚することが出来た段階に於ては、その次元の視点に立って自由に物事を判断し、それに適応した行動を実践することが可能となります。

 では言霊オからアへの自覚の進化の時のユニークな障害とはどういうものなのでしょうか。人は言霊ウの五官感覚に基づく欲望性能では、その人がそのものを欲しがるから行動を起こします。全く欲しないのに食べたり、飲んだりする人は少ないはずです。次の言霊オの経験知性能に於ても、人は自らの好奇心に基づいて考えたり、観察したりします。自分が知りたいから知識として集めます。またその知識によって判断を下します。自分の持っている知識では判断出来ない物事に遭遇すれば、判断を可能にする新しい知識を集めようとします。これも自分にとって必要と思うからです。

 ところが次の言霊アの感情性能では事情が違って来ます。恐怖におそわれた、悲しみにうちひしがれた、嬉しさがこみ上げて来た、憎しみに燃えた……など、自分自身が欲したわけではないけれど、自分の意志如何に関係なく起ったように言われます。自我を越えた精神領域から自我の中に入って来るように感じます。感謝の念が湧いて来る、などもその例です。涙は自我の意志で何時も流せるものではありません。

 以上お話申上げましたように、自我の希望するところから出発する言霊オの経験知性能から、自我領域以外に 源 を発する感情性能である言霊アへの自覚の進化は当然のこととして、言霊ウ―オの進化の延長上には求められないことが御理解頂けることと思います。それは「欲しい、欲しい……」の言霊ウの性能から「知りたい、知りたい……」の言霊オへの自覚の進化がそれ程意識しなくても容易に実行し得るのとは全然趣が異なるものなのです。

 言霊ウ、オから言霊ア(エ、イ)への自覚の進化を更に難しくするものに「自我意識」があります。言霊ウの「食べたい、欲しい・……」の性能だけの幼い時にはそんなでもないのですが、言霊オの性能が活発となる年齢になりますと、欲しくて手に入れたものと知ることの出来た経験知を「自分のもの」と思うようになり、果はそれが「自分」だという意識を持つことになります。それが自らのプライバシィを気にする年齢に達すると、強固な自我意識が形成されます。占有する物質と経験知の総量を「自我」だと思い込むようになります。キリスト教の旧約聖書にある「禁断の木の実を食べた」とはこのことであり、「神に代って物を見、考えるようになり、自らの裸を恥ずかしく思う」ようになります。

 ところが言霊オから次に自覚を進めようとする言霊アの性能は、右に述べた如く自我意識外から自我に移入して来るものでありますから、この自覚を確実なものにするためには、人が自らだと思い込んでいる自我意識そのものが邪魔をすることになります。そこで言霊アの感情性能全体を自覚するには、どうしても自分の心の中に形成された自我意識を否定しなければなりません。否定しないまでも、自我意識を自らの心の中心から脇の方へ退かせることが必要となります。「今まで自分自身と思っていた自我は、実は言霊ウとオとの性能で手に入れた総体の内容なのであり、自分自身ではなかった。それに自分が集めた物質財産は勿論、経験知識も自分自身ではなく、自分の生きるがための道具に過ぎないのだ」ということになります。言霊アの自覚に進むためにはこの反省を繰返し実行しなければなりません。

 この反省による経験知の自我否定は現代人にとって「言うは易く、行うは難し」の行為であるかも知れません。現代人にとっては、物質科学の勉学の如く、経験知識を有機構造的に合理的に沢山集め、身につける程社会に於ける優秀な人材と思っていたものが、その勉学方法とは全く反対に、「それは自分自身ではない」と否定して行く所謂退歩の学だからです。物心がつき出した時から努力して集めた経験知を否定して、即ち自分自身だと思い込んでいた経験知識を否定して、生まれたばかりの赤ちゃんに帰ることだからです。新約聖書はいみじくも「汝、翻りて幼児の如くならざれば天国に入るを得ず」と言っています。

 ただ私の心の深い処に微(かすか)かな予感のようなものを感じます。それはこの会報の題名を「言霊研究」から「コトタマ学」に改めた時の「お知らせ」の中で書いたことですが、「研究」の時代から「実行」「実践」の時代への転換を予想したことでした。今、その時が実際に近付いたのではないか、と思わせる微候が幾つか私の心の内に見え隠れして来た事です。勿論、それは誰の目にも映ずるようなはっきりした現象ではなく、現象以前のものです。聖書のイエスの言葉「目を目覚ましておれ」という警告の範囲のものです。けれど単なる予感かというと、そうでもありません。何故か。それが人類に愛を抱く人ならば何人でも予感する心の徴候であることであります。と同時に、現在の地球上の国際的政治・経済の状況を、何らの予見無しで率直に俯瞰することが出来るならば、人類社会が求心的に一つの渦を巻いて落ち着く処に流れて行っている事を明瞭に読みとることが出来ることによります。読者の皆様の御感想は如何でありましょうか。

 聖書はまた「金持ちと学者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい」とも言っています。「幸福なるかな、心貧しき人。天国はその人のものなり」だからです。金持や学者でなくとも、経済のことに自信を持ち、学生時代に優秀な成績を挙げ、そのことに心中自負している人にとっても、この反省、退歩の学は難行苦行に思えるかも知れません。それらの自負心の強さは強い自我意識を形成し、その自我意識の内容であるただ一つの経験知の否定が、あたかも自分の全人格の崩壊の如く感じてしまいます。恐怖感におそわれます。「こんな恐ろしい目に度々会ったら生命がいくつあっても間に合わない」と思い込んでしまいます。

   端坐して 吾と私語する 霜夜かな       櫻比古
   蒼天や 零余子(むかご)の顔に 見入りけり  h山人

 心中の障害や恐怖心を物ともせず、喜び勇んで自らの心の内容を反省し、自我意識を克服して行く方法はないのでしょうか。あります。信仰です。真っ暗な夜道を行く不安も、この道の向こうに明るい燈火の温かい我が家があると思えば、不安の心を吹き飛ばしてくれる真実の信仰です。仏儒耶等の宗教教典です。「なーんだ、信仰か」とがっかりした声を上げる人がいます。「人類全体の真理を標榜する言霊学が古臭い宗教をすすめるとは……」という落胆した声を聞いたことがあります。勘違いしてはいけません。私が申上げているのは、外国に於ては三千年前、日本に於ては二千年前、言霊の原理の実際の政治への適用を中止した時、日本の聖の祖先、皇祖皇宗がその後の二、三千年間に招来するであろう人類の暗黒時代の人々の心の支えとして、また時が来て、言霊原理が世に復活する際の原理への入門の手引書として、東洋の釈迦、孔子・孟子、イエス・キリスト、マホメット等に命じて創始させた世界の四大宗教の原教典に基づいた信仰のことを言っているのです。現代に見られる末法の寺院、教会の個人の物品的、身心的な幸福の獲得へ勧誘する御利益信仰のことではありません。

 言霊学を学んだ目でこれ等の教典を読むならば、儒教が伝える結縄の 政 とは言霊原理に基づく人類文明創造の政治のことであり、仏教が教える人生第一義・教菩薩法・仏所護念とは言霊原理のことであり、観普賢菩薩行法経の説く真髄は言霊原理の表徴である三種の神器に異ならない事、またキリスト教の聖書が伝える「神の口から出ずる言葉であるマンナ」とは言霊のことであり、降臨する生命の城とはアイウエオ五十音図のことであること、等々が明らかに読みとれることとなりましょう。これ等の宗教の教典が、人間の心と言葉の究極の真理である言霊の原理に基づく人類文明創造の御経綸の中のものであることが一目瞭然なのであります。

 以上が人間の心の五段階性能、言霊ウオアエイの自覚進化に於ける言霊ウオから言霊アに進む時の障害と、その障害克服のための信仰心についての解説であります。前に進むことばかりを仕事として考え、時には退くことの大切さを知らぬ現代人にとっては、理解に苦しむ話かも知れません。しかし言霊学の理論をある程度理解し、その上で信仰心によって自意識なるものが言霊ウオの性能発展の途上に於て形成された、実際には存在しない虚像なのだ、という事を知ったならば、精神宇宙の五次元構造の実在、言霊アオウエイの天之御柱が心の中にスックと立っている姿を自らの心の中に紛うことなく直感することが出来ましょう。言霊アの自覚によって人間の心の本体が宇宙そのものであることを知るなら、更なる自覚の進化段階にある言霊エとイが、その言霊アの宇宙の内容なのであり、その内容である言霊イの言霊の所在と言霊エの実践智の活動の消息を知るに到るならば、宗教心の最高目標となる神・仏なるものは信仰上假りに設定された虚像であり、その実態が言霊学に於ける言霊原理の把持者であり、その原理の適用・活用によって人類文明を創造する歴史の経綸者である天津日嗣スメラミコトという実在者であることを確認することにもなりましょう。

 言霊アの自覚に関係する話が大分長くなり失礼をいたしました。「過ぎし日々のことなど」の話を続けることといたします。一九四七年より始まった私の精神放浪の一人旅は、私の二十二歳から三十三歳位までの十数年間続きました。その間、私の生活は一生の中でも最も貧しく、恒産も恒心も全く無に等しいようなものでありましたが、その気概は成鳥になりたての鳥が翼の赴くままに大空を駈けるように、若い力をありったけ発散させるような生活の連続でありました。人類文明の進展の節目に関係する書籍に出合った時には、時間を惜しんで一日の食事の回数を一食減らして書物に読み耽り、昼も夜もなく読書に没頭した事もありました。何か知りませんが、奇妙に田舎の道を歩きたくなると、住む町の西を流れる鬼怒川の堤防を朝から日暮れまで一日五十kmを数日散歩して過ごしたこともありました。ある宗教団体の霊的病気治療に奔走し、一日二時間の睡眠で三百六十五日、一日の休みもなく働いた事を思い出します。また化学肥料や殺虫剤の薬害などがまだ叫ばれていない時、自然農法に熱を入れ、高さが三メートルもある里藷畑を育てたり、三百坪の田圃を借りて、無肥料、無農薬で、近所の農家を驚かせるような見事な水稲栽培に成功し、その田として最高の収穫をあげた事も楽しい思い出となりました。

 そんな自由奔放な、自らの「三千年の歴史の節目」の内容に関した心が動くすべてのことを自らが満足するまで追求しようとする生活が十年余続いたのですが、その生活にも漸く終止符を打つ日が来ました。「人類の将来を展望する為に知識を追求し、気力を充実させて来たが、自分一人でやれることと言ったら、もうこの位の所かな」という限界の気持ちが心の片隅に芽生えたのでした。そうなりますと、十年余の勉学と体験の記録を著述としてまとめてみようという気持ちが強くなります。確か一九五八年の春だったと記憶します。思い立った日の朝、八畳間の、廊下に面した柱の前に大き目の座布団を置き、その前に小さな卓袱台を据え、その右の畳の上に十年余の研究・思索の日記風の記憶帳を置き、私は柱を背にして座布団の上に坐り、分厚な便箋に横書きで十年余の勉学の結論を序論から一気に書いて行きました。記憶帳の内容は何回、何十回と反芻したものですので、そのほとんどは覚えています。何のよどみもなく十年余の勉強の集大成の筆は進みました。眠くなると、後の柱に倚りかかって数分か数十分間まどろみ、目をさますと、また書き続け、少量の食事とトイレへ行く以外は座を離れず、横に臥せることもしませんでした。

 書き始めてから七日目の朝、太陽の光が部屋に差込み始めた頃、「人類新時代の展望」(仮称)は完成しました。十年余の学業を七日間でまとめることが出来たのでした。その時の爽快な気分と、書き終わった後、毛布を取り出して長時間眠った事を覚えております。そして多分、夢の中で学生時代に覚えた、何時も私の心をやさしくしてくれる歌を歌っていたに違いありません。

   わが世の杜を見返れば
   野の家の灯に笑みたもう
   母の膝こそ親しけれ
   夢円かなる青空を
   駈ける小鳥と身を成しき

若き日の三十三年間の生甲斐を一気にまとめ上げたこの文章が、その後私の生活を全く予想もしない方向に押し流す切っ掛けになろうことなど私自身その時は夢にも思っていなかったのです。

 四百字詰原稿用紙四百枚の論文を書いたのですから、誰か興味を持ってくれる人に読んでもらい、批評もしてもらいたいのは山々です。けれどその時の私にはそれをお願い出来る人は一人として思い浮かびませんでした。便箋を綴じて一冊の手書きの本の形にし、表紙も自分で工夫しましたが、ただ手許に置いておくだけで、日一日と時が経って行きます。自分がやるべきことはやってしまったという感じで、毎日を朝から夕方まで散歩で過ごしていました。その年の八月、以前東京で霊的治療を仕事とする人達が月一回会合を開く医学界の理事をしている懇意なお医者さんから「暑さを避けて、貴方の住居の近くの筑波山の中腹のホテルで一泊二日の医学研究会を開くから、参加しないか」の誘いを受けたのでした。筑波山は私の住む町からバスで三十分の距離です。出席の返事を出しました。

 当日はよく晴れた暑い日でしたが、ホテルは標高五百メートル程の所にあり、窓から入る風に涼をとりながら、午後一時から五時までの研究討論が行われ、六時から宴会となりました。四、五十人が集まったようでした。乾杯が終わり、酒宴となった時、私の右隣に坐った老紳士から、昼間の討論会で私が発言した短い論旨について質問されました。宴会の席を示す卓上の札にMr.Sと書いてあります。その質問の要旨が私の発言に対して大層的を得た言葉であるのに気付き、宴会の時間のほとんどをその紳士との談笑で過ごしたのでした。前にもお話した事がありますが、私は妙に私よりズット年上の方と話が合います。S氏とも直ぐ親しくなりました。そして談笑の間に、私はふと「この人なら私の書いた”新時代の展望“を本気に見て下さるかもしれない」と思うようになり、宴会が終わりに近付いた頃、思い切って論文の内容を簡単に説明し、「読んで御批判を賜りませんか」とお願いしました。S氏は呆気ない程即座に「私でよかったら…」と引き受けて下さったのです。有り難いことでありました。私は研究会が終わり、家に帰りまして、直ちに私の論文の手製の本を荷造りしてS氏宛速達で送りました。後で心霊医学会の理事のお医者さんから聞いた所、S氏は四国の愛媛県新居浜市の沖、瀬戸内海に浮かぶ四阪島の銅山の工場長を長く勤め、世界中の銅の精錬技術に多大の貢献をした有名な技術者であり、その功績により幾多の褒賞を授かった有名人で、住友金属の重役、新聞社の顧問を務められる方だそうであります。私にとって全く思いもかけないお方にお会い出来たものでありました。

 一週間程経った頃、S氏より手紙が届きました。要旨は「文章にザッと目を通しました。読んでいる間に貴方のひたむきな熱気が伝わって来るようで面白い。これから一行々々精読をするつもりであるから、少なくとも二、三ヶ月の猶予を見て欲しい。また内容が多岐にわたり、その中には私の未知の分野も含まれているので、暇をみて拙宅へ来て説明して貰いたい。泊りがけでいらっしゃい」という御厚意の内容でありました。その後私は二度程、千葉の船橋市にあるS氏の御自宅に伺い、夜更けるまでビールを飲みながら談笑したものであります。S氏はまことに気さくな方で、私が伺うと、すぐに御自慢の五右衛門風呂を御自分で薪を燃やし、「どうぞ、どうぞ」と言って書生の私を初湯に入れて頂いたものです。光栄この上もないことと、今でもはっきり記憶しております。

 S氏よりの批評が届くまでの三ヶ月の間、私の心の中に、私という人生に自信と明るさが到来するような期待の気持でワクワクするものがあったのは事実です。けれどその気持ちよりもっと大きな、もっと深い所で、私の目は私の論文が関係する当面の事態よりはもっと遠い所を凝視していた事を覚えております。どういう事かと申しますと、私の論文がその後の日本や人類世界に対してどの様な関係を持つのか、また持ち得るのであろうか、という大きな歴史の進行に対する自分の責任如何という所に、着眼していたように思われます。その潜在的な意識は日一日と顕在化し、大きくなって行きました。十余年前世界の歴史の大きな転換期という言葉に触れ、自分の一切のものを捨ててその真相を知ることに没頭して来て今、理論的にその内容を展望し得たと思った記録の帳面を眼を凝らして読み直してみました。理論的には一行一行「ふん、ふん」と頷きながら、読み終わった私の心の中に、満たされない何かを感じていました。それは何か。私の頭が真っ白になったようなショックでした。何日もの間、その事ばかり考えました。心は自然に「三千年の歴史転換の真相」の究明に、何ごとをも措いて私を追い立てた当時の私の心に帰って行きました。理論をまとめ終えて、私は原点に帰ることが出来たのです。その結果は途方もなく大切な事に気付いたのでした。「十年以上前、私の意志を一つ覚えの如く駆り立てた、その意志が拠って来る所、意志の根源、同様に人類をして転換期の事実を知ったなら、狂気の如く変革に勇躍させるその意志の記述が私の論文には書き込まれていない。意志力の欠如した論文は絵に画かれた餅、砂上の楼閣に過ぎない。創造の意志が備わった文章なら、歴史の転換を可能とする計画とその手順が当然導き出されるものであるべきだ。人類の歴史転換という大業の前には、私の論文など蟷螂の斧にも当らない。この私の文章は断然「没」にすべきものなのだ。……」まるで呼吸していない人間の様になりました。得意の絶頂から奈落の底に落ちて行く気持ちでした。「もう私の及ぶ所ではない。」………

(次号に続く)